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  ◆松本仁介氏医学振興基金より受け入れた図書館蔵書の紹介

    図書館では、毎年財団法人京都府医学振興会(松本仁介氏基金)から、医学の歴史研究に
   役立つ古医書を貴重なコレクションとして受け入れしています。
   このページでは、このコレクションの一部を紹介し、その内容をわかりやすく説明していきます。
   解説は本学人文・社会科学教室准教授 八木聖弥先生にお願いしています。
   (内容は順次増やしていく予定です)


 
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(2010年受入分)

2011受入分リスト

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(2012年受入分)

             
 

【京都療病院日講録】明治6年(1873)-明治7年(1874)刊 OPAC 画像(抜粋)    

    独逸永克(ドイツ・ヨンケル)口授。2冊(2巻)。京都療病院は本学および附属病院の前身。明治5年(1872)、ドイツからヨンケル Junker von Langegg を招き、粟田口青蓮院で診療と医学教育が始まった(その直前には木屋町二条の宿舎で行なう)。本書はヨンケルの講義を翻訳筆記したもので、巻一が解剖学(骨学)《渡忠純・真島利民・新宮凉介筆記》、巻二が痘瘡論・種痘論《村治重厚筆記、新宮凉介校字》である。渡は庶務取締、真島と新宮は当直医であった。真島は丹後の生まれで緒方洪庵の適塾に学び、長崎に留学して綾部藩医をつとめた。眼科を得意とするが、のち南禅寺に設置された癲狂院の院長になった。新宮は松山俊茂の長男で新宮凉庭の養子。村治はエルメレンスの『原病学通論』を翻訳した一人として名高い。  
  【切紙】慶安2年(1649)刊 OPAC 画像(抜粋)
    曲直瀬道三著。2冊(2巻)。道三は田代三喜から李朱医学を学び、京都に啓迪院を建てて門人を養成した。その際、個人の能力に応じて指導し、折紙を半分に切って秘訣を記し授与したという。これをまとめたのが本書である。冒頭には「五十七箇条」を挙げるが、医は仁慈の心をもってすべし、四知(神=望、聖=聞、功=問、巧=切)を尽くして病因をよく察すべし、発病に個人差があることを知るべし、などといった法則が書かれている。そのほか「診候薬註一紙之約術」「脈対分別之捷径」など全41篇からなり、大半が元亀2年(1571)の成立。刊本には数種類ある。  
  【診脈口伝集】江戸前期刊 OPAC 画像(抜粋)
    曲直瀬道三著。1冊(1巻)。天正5年(1577)奥書。脈診の要点を簡潔にまとめたもので、「男女ノ左右」に始まり「小児ノ虎口」にいたるまで28条からなる。「男女ノ左右」では男は陽であるから左手、女は陰であるから右手から診よと述べている。陰陽五行論を基礎とする李朱医学の影響がうかがわれる。初学者のためのもので、さらにくわしくは『脈経』『脈訣』『察病指南』などを究明せよという。   
  【医法明鑑】江戸前期刊OPAC 画像(抜粋)
    曲直瀬玄朔著。2冊(4巻)。玄朔は道三の甥で養嗣子。二代道三を名乗り、李朱医学を元にしながらも日本に合った医療を進め道三流を確立させた。正親町天皇、豊臣秀次などの症例をまとめた『医学天正記』が名高い。本書は巻一が「中風」をはじめ13種、巻二が「虚損」をはじめ32種、巻三が「眼目」をはじめ12種、巻四が婦人54種・小児51種の病症を挙げ、劉河間・李東垣・朱丹渓谷らの諸説を紹介しながら処方について詳細に述べている。元和九年(1623)成立との説がある。   
  【養寿院医則】宝暦元年(1751)序跋 OPAC 画像(抜粋)
    山脇東洋著。1冊(1巻)。東洋の父清水立安は山脇玄修から道三流の李朱医学を学んだ。東洋は玄修の養子となるが、のち後藤艮山の門下となり古医方を修めた。古医方は親試実験を旨とし、東洋は積年の願いがかなって宝暦四年(1754)に観臓を行ない、『蔵志』にまとめたことは有名である。医則は十則からなり、門下に示すとともに北野天満宮に奉納された。古医方が普遍的な原理であることを述べ、発汗・嘔吐・瀉下の三原則を学ぶことが基本であるという。倫理的な要素は含まれておらず、実践に徹底したところに特徴がある。附録として儒学者への書簡などを載せる。   
   
             
             

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